super hero show チェリョンイルさんの展示

現在開催中のチェリョンイルさんの展示のご紹介です
今週日曜日までの開催となります


オブジェ3点の展示です
どこか懐かしい感じのするヒーローに出てくる
ヒーローや怪獣やその一部などの
イメージがいろいろと組み合わさったオブジェ達が展示されています

こちらで塗り絵をやっています

テーマ―は、タイトルにもあるように「英雄」です
以下の文章は、作家さんの文章


ぼくは今現在も、この世の中にヒーローがいると考えている。
しかしその一方で、現代をヒーロー不在の時代として嘆き、私に言わせれば「昔は良かった」的な発想で懐古している人がいて、現代はヒーローが生まれるのは困難な時代だと言い切ってしまっている。彼らの多くは、時代によってヒーローの捉えられ方が変化してきたことを自分たちで述べながらも忘れがちになっている。
戦乱の時代には「強い」ヒーローが人々を魅了したことも事実だろうし、そのような中で平和を求めて立ち上がるヒーローもいたことだろう。平穏な時代には技術開発をすることによってヒーローになったものもいただろうし、人々を「楽しませる」ことでヒーローと呼ばれた人もいただろう。それがその時代に生きる人々の望むヒーローならば、なぜそれがヒーローではないと言えるのだろうか。
何故、多くの人々は柔軟に素直に、新しい現代のヒーロー像を求めようとしないのか、何故過去のヒーロー像にこだわってしまうのか、それが私には疑問に感じられてならない。
 ヒーローとはその時代における人々の求めるものと深い関係がある。
ヒーローには人々が求めるものを映し出す鏡としての役割を持っている。人々が求めるものがはっきりと映し出される。複雑化した社会においてはさまざまなヒーローが現れるかもしれないが、社会全体の求めるものが存在しており、社会が含んでいる問題も映し出されることも考えられる。
生きにくい社会で、みんなが≪英雄≫の登場を待っている。
つらい現状を打破しようと頑張っても、強大すぎる力には敵わないコトだってある。
自分に、もっと力があればと、誰もが思う。うまくいかないときだってある。
普通の人を超える力・知識・技術を持った英雄の誕生を待ち望んでいるし、
実は英雄そのものに、なりたいのかもしれない。
突出した能力を持っていなくても、何らかの形で英雄になれる。
テレビのヒーローみたいに、すべてを救えないときもあるだろう。
でも、現実にしたいから、ぼくは今現在もヒーローがいると考えている。
(文章:崔 龍日さん)